ワザリング・ハイツ ~本館~

Something childish, but very natural.

哲学

アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』を読む

哲学を学ぶにはどうしたらよいかを考え、結局それらしい手掛かりを摑みはじめたのは『シーシュポスの神話』を読み終えてから8年以上経った20代の終わり頃であった。そこで木村敏の精神病理学に出逢い、西田幾多郎の哲学を敷衍した現存在分析を学び、それを物…

オギュスタン・ベルク『風土の日本』を読む

ベルクは本書の冒頭で「風土」がフランス語で“milieu”とあらわされることにふれているが、本書の主題はまさにこの一語に集約されると言ってよいのではないか。風土・環境がひとをつくり、またひとが風土・環境をつくる一体不二の関係、そして“milieu”とは「…

市川浩『身の構造』を読む

高校の現代文の授業で読んだ本である。もっとも、この本の価値がわかったのは三十代になってからだったような気がする。あらためてふり返ってみると、高校の現代文の教材は大人になってからの自分にとても大きな影響を与えており、先生方の時代を読む眼に今…

日本語の代名詞を読む

よそで書いたエッセイなのだが、そろそろ時効だと思うので掲載してもよいかと。代名詞と文化現象の関係を一度まとめておきたいと思い、和辻の哲学から着想を得て、三浦つとむや大野晋の理論基盤を基軸としてまとめた言語論考。言語学の先生に査読をしてもら…

和辻哲郎『風土』を読む

日本人論というものを考えたときに和辻哲郎の功績を抜きにして語ることはできないであろう。現在少しずつ自分なりに構築しつつある“日本的特質”についての前提とも言える論拠を、諸方から様々な形で補強してくれる論理基盤が、和辻哲郎の『風土』では数多く…

西田幾多郎を読む

木村敏がなぜ西田を重要視したのかが最近になってようやくわかってきた。西田は矛盾する要素を併せもつ主体として自己を捉え、また行為する働きそのものとして捉えてもいる。すなわち自己とは、他から働きかけられる存在でありながらも、他に働きかける存在…

“ゆがみ”を読む 第三夜(『あいだ』)

木村敏の記念碑的作品と見做されるのが本書『あいだ』である。前期と後期の橋渡しのような位置にある著作だと言ってよいかと思う。自己を“関係”として捉え、他者との「あいだ」に自己が成立すると主張する木村の哲学は、人間が誰かとの――あるいはなにかとの―…

“ゆがみ”を読む 第ニ夜(『時間と自己』)

『自覚の精神病理』でもふれた、「こと」と「もの」というおなじみの議論から、時間=自己という考え方を導入し、分裂病(統合失調症)や鬱病の議論へと進んでゆく本書は、木村の中期までの哲学を体系的にまとめ直した、入門にふさわしい一冊である。木村敏…

“ゆがみ”を読む 第一夜(木村敏『自覚の精神病理』)

ドイツで書いた論文を邦訳して出版した、木村敏の文字通り最初の著作である。ヨーロッパから輸入しただけの日本の精神病理学を、日本人に適応するため“日本的に”変革しようと試みたのが本論であり、中期・後期にわたる木村の思索の萌芽が垣間見える重要な一…

“ゆがみ”を読む 前夜

「・・・・・・いっそのこと、何もかも全ての境界が壊れてなくなってしまえばいいのに。そしてこのあまりにも公平な現実世界を、少し歪めて欲しい。」(唐辺葉介『つめたいオゾン』) わたくしごとになるが、2015年の私にとって最も大切な書き手でありつづけたのは…

V・v・ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』を読む

ヴァイツゼッカーを日本に紹介した木村敏の功績は非常に大きい。神経科医であったヴァイツゼッカーは、フロイトの精神分析学を出発点として独自の思索を展開し、主体についての重要な考えを提示した。本書では生物学的観点に重きを置きながらも、精神病理学…

野矢茂樹『心と他者』を読む

野矢茂樹の『心と他者』を読んでそのなかのある議論が離人症の症例分析と重なったため紹介することにした。ウィトゲンシュタインのアスペクト論を参照しながら野矢は「アスペクト盲」について論議を進めるのだが、個々の対象を別の対象との関係において有機…