ワザリング・ハイツ ~本館~

Something childish, but very natural.

シュペルヴィエル『海に住む少女』を読む

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フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴダールは、南アメリカの幻想的な印象をもたらす作品として、シュペルヴィエルの作品はとりわけ重要であると述べたらしい。日本で文庫本が二冊手に入るにもかかわらず、日本語でも英語でも情報はとても少なく、非常に残念でならない。この文庫版も作家について多くの伝記的事実を伝えてくれるわけではなく、仕方なくフランス語版のペーパーバックに付されたスタディーガイドのようなものを参照しなければならなかった。しかしながら、日本ではかなり早い時期から、シュペルヴィエルの詩を中心とした作品は翻訳され、紹介されていたという記述はどこかで眼にした記憶がある。

私はフランス文学から文学の世界に入ったが、まさにこうした作品を好むがためにフランスものが好きなのだ、と言いかえてもよいくらいである。謎や不思議が切なさに結びついたりする、たとえばボリス・ヴィアンの『日々の泡』やベルナール・パンゴーの『悲しき愛』を思い浮かべてもらえばよい。「海に住む少女」もそのような特徴をもつ物語である。シュペルヴィエルの散文を集めた『海に住む少女』は、表題作のほかにも「セーヌ川の名なし娘」や「バイオリンの声の少女」、「ノアの箱舟」などを含めた短篇集となっている。

「海に住む少女」は現代の寓話とも言える物語である。少女がなぜ街にひとりきりなのかを問うよりも、人間の想いがどれほど強いものであるか、あるいはその想いを言葉にできない人間はどう生きるのかを問う方が、この物語の核心には手が届きやすいのではないか。人間の想いは時に不条理な出来事をひき起こしてしまい、本作ではそれが心と言葉の関係を通して語られる。少女にはっきりとした感情がない。いっさいの感情を欠いた少女がくり返すのは習慣だけで、それがさらに彼女の悲劇を深刻に感じさせる。精確に言えば、まったく感情がないというわけではない――たとえ寂しいと感じていても、そもそも寂しいという感情が存在することを少女は知らないのである。

しかしながら少女はときおり「なにか文章を書きたいという執拗な気持ち」にかられることがあるという。彼女が実際に書くものは「これを分けましょう、どうですか?」「聴いてください。座ってください。動かないで、お願いです!」「ひとつの輪を作るには、少なくとも三人必要だ。」など、外国語を学ぶ際に練習する文章のようなとりとめのないものばかりである。おそらく彼女は自分の本当に望む言葉が書けないばかりか、それ以前に自分がどんな言葉を望んでいるのかもわからない。ほかにも少女は何度か言葉を発しようとするが、言葉が自然と少女の心から生まれでることはない。彼女は言葉が書けない、話せないのではなく、言葉に載せて語るべきものを見つけられないのである。心をなくしてしまった少女が言葉も失ってしまうというのはとても象徴的である。

シュペルヴィエルウルグアイ生まれの作家である。両親がフランス人で、フランスとウルグアイのあいだを往ったり来たりしていたが、フランスで学を修め、フランス語で書くことを選択した。二箇国にひき裂かれ、その狭間を浮遊することになった彼の生立ちは、多くのひとの指摘通り、彼の作品へ大きな影響を及ぼしたようだ。この物語のなかにはたしかに言語に対するシュペルヴィエルの問題意識が見てとれる。ひとり机に向かって文章を書き連ねたり、文法書を埋めたりしながら言語にふれる孤独な少女は、なにか物珍しいものでも見るような眼で言語を見つめる。それはもちろん「自分と同じ姿をした少女」の映る写真を見るときの眼でもあり、だれもいない街をぼんやり眺めるときの眼でもある。おそらくシュペルヴィエルは、母語であるフランス語を、時にまるで親しみを欠いた外国語のように感じることがあったのではないか*。シュペルヴィエルもいわゆるエクソフォニーの作家なのである。*ふたつの言語に挟まれた彼の境涯については、folioのフランス語版L'enfant de la haute merに収録されたMaria-Nina Barbierによる"Dossier"を参照した。

 

●付記

日本では小川未明宮沢賢治がすばらしい童話を書いているが、彼らの作品に親しい読者であれば、シュペルヴィエルの文学もまた魅力的なものとなろう。「海に住む少女」は、他者との関係がいっさい絶たれた疎隔の物語であるが、語らう相手のいない子供は、現代において少しもめずらしくないと私は思う。言葉を使いながら、その言葉がまるで他者の言葉のように感じられるというのも、私たちが日常的に経験することであろう。両者に一貫するのはやはり心の主題であり、他者との関係の主題である。私たちは他者の存在なしには生きてゆくことができない。そのような観点から見ると、本作が文庫本に収録され、広く流布しているというのはなかなか幸運なことだと思う。本作はまさに今読まれるべき作品のひとつだと思うからである。

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