ワザリング・ハイツ ~本館~

Something childish, but very natural.

伊良子清白『孔雀船』を読む

f:id:SengChang:20200712201912j:plain

 

ジョージ・オーウェル学会の会長さんと飲んだときに、伊良子清白はいいよ、あれは本当にいい、と言われ、読んでみたらすぐにその理由がわかった。たとえば西洋の詩は、形式に支配された伝統の上に詩が築きあげられてきた背景があり、それはそれでとても美しい。手の届かないものを崇高の美として拝してきた西洋の美学は、ひとつの芸術の形式として詩を定義づけてきた。それに対し日本の詩は、心のすぐそばにある印象が美しく連なり、少しずつ日常の外へ読み手を連れ去る予感がある。ふと気がつくと私たちは、自分のまわりにぼんやりとしたうすくきれいな皮膜をまとい、ありふれた日常にいつもとはちがう澄んだ印象を抱く。

詩の教科書なる文献が西洋には掃いて捨てるほどあるが、日本の詩の教科書はつくろうと思ってもつくれない。形式化しようにも、そもそも日本の詩には形式というものがない。見えてくるのはあくまでヨーロッパの詩を下敷きとした形式の敷衍でしかない。しかしそれをもって日本の詩を位相の低いもののように見るのは愚の骨頂である。それは伊良子清白の「漂泊」を読んでみればよくわかる。

『孔雀船』が発表された1906年は、日本でちょうど自然主義文学が台頭してきた頃に位置する。國木田独歩のようなロマン派的潮流に属する伊良子清白の詩は、あまり広く読まれることはなかったようだが、日夏耿之介北原白秋といった文学人によって愛されたとも言われる。医者として生涯を過ごし、三重県鳥羽市から、私の好きな土地でもある度会郡大紀町にわたり、脳溢血で亡くなった。文壇から遠くはなれ、静かに文学を生みだした作家である。
『孔雀船』に添えられた筆舌に尽くしがたい「小序」の一節をひいてみよう。

この廃墟にはもう祈祷も呪詛もない、感激も怨嗟もない、雰囲気を失つた死滅世界にどうして生命の草が生え得よう、若し敗壁断礎の間、奇しくも何等かの発見があるとしたならば、それは固より発見者の創造であつて、廃滅そのものゝ再生ではない。 

顧みられることのない文学作品の上にはやがて埃が積もり、長いあいだだれにも紐解かれることもないまま、歴史の奥で「廃墟」のように忘れ去られてゆく。時が経ち、新しい時代の人間がひとりその作品を紐解いたとしても、見出すのはただ作品の上にうち立てたその人間の「創造」でしかなく、作品自体をいきいきとよみがえらせる新たな価値を付与するものではないと言い捨てる。非常にロマン派的である。

「漂泊」もそのようなロマンティシズムで満ちている。故郷と父母を思い、旅人は次のように歌う。

亡母(なきはゝ)は
処女(をとめ)と成りて
白き額月(ぬかつき)に現はれ
亡父(なきちゝ)は
童子(わらは)と成りて
円(まろ)き肩銀河を渡る

旅人の眼には見知らぬ土地が故郷の里と重なって映る。そこで見出されるのはやはり彼の見知らぬ子供としての父母の姿である。見知らぬものを通して親しきものをなつかしむのは、今は亡き親しきものを現実から切りはなして受けとめるかのようである。異化された親しき面影は、古きよきなじみの調べを旅人に思い起こさせる。

故郷(ふるさと)の
谷間の歌は
続きつゝ断えつゝ哀し
大空の返響(こだま)の音(おと)と
地の底のうめきの声と
交りて調は深し

「漂泊」という名の下に、漂う旅人のまなざしの前ではあらゆるものが移ろいゆき、ひとところにとどまることがない。父母の姿はおぼろげで、心に響く唄でさえも絶えだえとし、またなつかしい響きに応じてそこに隠された蔭の声もが浮彫りとなる。旅愁が導く望郷の想いは、なつかしいものだけでなく、地に埋もれて忘れられた、表にはあらわれない苦しみや悲しみをも鋭くとらえてしまう。

『孔雀船』の詩にはすべてふりがながふってあり、言葉と言葉の重なりがつくる音の響き、連なり、拍、そういったものが精確につたわることを意図してふられたものだと思われる。伊良子清白の繊細な詩心が垣間見えるところでもあろう。初出から32年後、岩波文庫から『孔雀船』が再版された際に、清白が寄せた詩を引用して筆を置きたいと思う。

ひるの月み宙にかゝり
淡々し白き紙片(かみびら)
うつろなる影のかなしき
おぼつかなわが古きうた
あらた代の光にけたれ
かげろふのうせなんとする

*本文では原文を新漢字新かな遣いにあらためて表記した。またふりがなはすべて括弧表記とした。