ワザリング・ハイツ ~本館~

Something childish, but very natural.

アルフレッド・テニスン『イノック・アーデン』を読む

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荻窪の一角で朗読を聞いた夜のことは今でもよく覚えている。公開朗読の台本用に訳した『イノック・アーデン』は、鬼気迫る朗読者の演技に力を吹込まれて、美しく感動的な響きを伴ったものとなった。あの晩に朗読を聞けたのは本当に幸運だったと思う。その後に酒の席で、あの訳は出版しないのですか、と先生に聞いたが、まだかなあと言って笑っておられた。数年経って先生から直接この本を渡され、ついに出版されたのですか、と眼を見開いた私であった。訳者は恩師、梅宮創造先生である。

テニスンといえば、親友ハラムを失い、失意のなかで10年以上をかけて完成させた傑作『イン・メモリアム』が最も著名な作品だろう。エリザベス女王が愛した名詩としても名高く、この詩で用いられた独特の詩形は「メモリアムスタンザ」と言われ親しまれてきた。ワーズワースの跡を継いでイギリスの桂冠詩人となり、詩人としての評価も申し分がないと言える作家だ。エリザベス・バレット・ブラウニングやトマス・ハーディー、クリスティーナ・ロセッティもよいけれど、やはり私はテニスンばかりをつい読みなおしてしまう。とても思入れのある作家のひとりでもある。

以前から入江直祐訳で『イノック・アーデン』は読んでいたし、『イン・メモリアム』をはじめ、テニスンの詩はとても好きで広く読んではいた。しかしあらためて読みなおしてみると『イノック・アーデン』のもつ美しさと力強さは圧倒的である。詩とは言えど、物語としての完成度が高く、小説を読んでいるような心地で読み進めることができる。ヴィクトリア朝文学を代表する屈指の傑作と言える。

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入江訳もすばらしい。また『イン・メモリアム』はまぎれもないテニスンの最高傑作と言えよう。

桂冠詩人となった後期の作品になるにつれて、次第に悪い意味でヴィクトリア朝的になったとも言われるテニスンであるが、桂冠詩人としてヴィクトリアニズムと迎合せざるをえなかったことは容易に想像がつく。しかし『イノック・アーデン』では、そういったヴィクトア朝的傾向を逆手にとり、普遍的な悲劇を語るに至ったテニスンの才能が窺える。本作ではいわゆる"the 'hearth and the home' as the ethical centre of the universe" (xviii)が、最も大切な場面で理想像として描かれるものの、それは理想以上の痛切な印象を読む者にもたらす。やや長いが以下に引用してみる。

 今、死んだ男がよみがえり
自分の妻であり妻ではない女を見て
妻の赤子であり自分の子ではない赤子が父親の膝の上にのり
何もかもほのぼのとして、穏やかで、幸せなのを見て
そうして自分の子供らは大きく美しく育ち
そうして、あいつが自分の場所に収まって
一家を治め子供らの愛情を集め
それやこれやを見てイノックは、ミリアム・レーンから聞いてはいたものの
百聞は一見にしかずとやら
よろめいては身をふるわせ、小枝につかまり
思わず金切声なり、ひどい叫びなりを発してしまうかと危ぶまれた
そうなれば一瞬にして、最期の審判に鳴りわたるラッパの一吹きのごとく
炉端の幸福もあえなく吹き飛んでしまったことだろう

身を切られるような思いを抱く有名な一節である。無人島から戻ったイノックが眼にしたのは、自分の妻と友とが家族となって幸せな家庭を営む姿であった。長年の苦しみののち、ついに決心をしてイノックの友人のもとへ嫁いだ妻を、彼は決して責めることはない。ただ悲しみにひき裂かれ、島から脱して帰郷したことを後悔するばかりである。ヴィクトリアニズムに迎合するのならばここを、一家団欒こそが理想であり人々の帰るべき場所だ、と解すべきであろう。それは一面の真実であるかもしれないが、他方でその理想こそがまさにイノックを絶望の底に突落としたとも言える。彼が無人島での生活を生き延び、故郷へ戻ることができたのは妻アニーと子供たちの存在があってこそだが、彼の自己存立の根拠であったその家庭は、彼の自己をばらばらに解体する癌ともなってしまう。ここにはテニスンが見たヴィクトリアニズムの矛盾、あるいは偽善と言いかえるべき、悪しきイデオロギーの影が見えるのである。

イノックの姿を追いかけてきた読者にとって、アニーとフィリップの姿は、理想的な家庭であるにもかかわらず、憎むべき姿に映ってしまうかもしれない。私たちはイノックの眼を通してこの場面を眺めざるをえない――これは三角関係の物語でありながら、自己存立の根拠として手に入れた理想が失われ、その理想によって自己がばらばらに解体される不条理な物語でもある。そして人々があたたかく掲げる"万人のための理想"が、一部の人間をいかに疎外し、傷つけるかを語った物語でもあるのだ。ここには世の中の画一化された理想のおそろしい蔭が見えると言ってよいだろう。テニスンは身のまわりにありふれた日常的な風景のなかに、人間の実存を脅かすおそろしい力を見たり、想像力を強くかき立てるヴィジョンを見出しつづけたのである。

<Works Cited>

Roberts, Adam. "Introduction." Tennyson, Alfred. The Major Works. NY: Oxford, 2009.

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●付記

私の大好きな作品が、私に文学のなんたるかを教えてくれた先生によって訳されたというのは、私にとっては大事件であった。これまで数え切れないほどの文学作品を読んできたが、これほど特別な作品というのはほかにないかもしれない。

テニスンは実に生真面目な男であったらしく、いわゆる私たちが心に描く「詩人」の姿そのものであったようだ。そしてべらぼうにもてた。若い頃の肖像はびっくりするほどきれいな顔立ちをしている。そんな彼が親友の死にうちひしがれて世にも美しい詩篇を書きあげたのだから、語りつがれないはずがない。本当に私の大好きな詩人のひとりであり、日本の一般読者にももっと広く読まれるべき作家だと思う。特に『イノック・アーデン』は純粋に物語を愉しみながら小説のように読むことのできるめずらしい作品である。ロマン派の色を強く残した、しかし近代へ向けて次第に変化しつつある時代の物語と言えるのが、この『イノック・アーデン』と言ってよいかもしれない。