ワザリング・ハイツ ~本館~

Something childish, but very natural.

ウィリアム・ブレイク『無垢・経験の唄』を読む

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大学生のときに仲のよかった仏文科の友人が、誕生日プレゼントとしてPenguin版William Blake: Selected Poemsをくれた。とてもうれしかったのだけれど、結局私はそれをまともに読むことなく――すんなりと読めるほどやさしい英語ではなかった――棚にしまい、それから長い時間が過ぎてしまった。5年ほど経ってからだろうか、イギリス留学を前にして、私はふたたびその本を開き、今度は本気で読み進めていった。このときほど友人の粋なはからいに感謝したときはない。私はブレイクに惚れこみ、自分の愛する作家の書架に加えた。いまやブレイクの文学は私にとってあらゆる思考の礎となっている。

幻視的、あるいは預言者的と言われることの多いブレイクは、ほぼ同時代を生きたロマン派の詩人と比べるならば、桂冠詩人ワーズワースよりもコウルリッジに近い、呪力に満ちた詩を書いた。ブレイクの代表作『無垢の唄(Songs of Innocence)』『経験の唄(Songs of Experience)』は、フランス革命の時代に編まれた彼の初期の詩集であり、最も名の知られた代表的詩集でもあるが、これはブレイクの文学的視座を知るうえでとても重要な手掛かりとなる。言うまでもなく、両者は対偶関係にあり、この関係こそがブレイクの詩的主題とも響きあう。

ブレイクを読むうえで私にとってひとつの指標となったのは、文学者でありながら"Sir"の称号をもつ研究者、モーリス・ボウラ(Maurice Bowra)であった。ロマン派研究を代表する名著The Romantic Imaginationにおいてボウラはこの詩集をとりあげ、英語で書かれた抒情詩のなかで最も重要な作品だと賞讃した。ワーズワースのように神聖な子供時代そのものを神聖化して見るのではなく、ブレイクはむしろそれが失われることに興味を寄せた、とボウラは指摘する。"Both books are, in a sense, concerned with the tragedy of innocence"との言葉通り、ブレイクは無垢が失われる状況を描き、そのような楽園崩壊のヴィジョンを呼起こすものとして、経験に着眼する(Bowra 30)。これが『無垢の唄』と『経験の唄』が一対の作品として読まれる理由にほかならない。

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ブレイクの基幹となる思想として、人間は想像力であり、人間のうちに神が宿るという、自己の矛盾的性質を前提とした信念がある。

Imagination or the Human Eternal Body in Every Man...Imagination is the Divine Body in Every Man...Man is All Imagination. God is Man & exists in us & we in him... . (Poetry & Prose 663-64)

ブレイクは神を否定したわけではなく、むしろ積極的に神を自らのうちに招入れた詩人であるが、彼にとって神は人間からはなれては存在しえないものであった。世界のあらゆるものは人間のうちに存在すると謳う。想像力と人間を同一視する思想は、同じロマン派であればコウルリッジがBiographia Literariaで書いたことでもあるし、またのちにロマン派の伝統のなかで生まれてきた詩人エミリー・ブロンテの文学の根幹を成すものでもある。そのような詩人と比べてみてもブレイクが独特であったのは、たとえ神がどんなものであろうと、あるいは想像力をいかにとらえるにしても、現前する事物や現象が第一義的であり、つねに現実を鏡として神的なものへ眼を向ける。さらには、神がひとのうちに存し、想像力がひとのうちに存するという、矛盾的同一性が大きな主題となる。それは「天国と地獄の結婚(The Marriage of Heaven and Hell)」における"without Contraries is no progression"という言葉からも窺える(Selected Poems 47)。

ブレイクのこの主題は、無垢が経験とが一体であり、また破壊を前提に成立するという、矛盾的要素の対偶関係のうちで展開される。ひとは経験から様々なものを構築してゆくなかで、やがて無垢を失ってしまう。しかし生において経験は欠くことのできないものであり、無垢は経験による腐敗を前提としたうえで存在する。経験とはすなわち知ること、叡智を得ることであり、無垢の本質はこのように経験を志向する潜在性にあるとも言える。それゆえ無垢と経験とは切りはなせない一体不二の関係にある。エミリー・ディキンソンが、相反する要素が互いに相補的関係を構築し、ひとつに調和するモデルを提示しつづけたように、ブレイクもまた、一方が欠ければもう一方が存在しえない一体不二の矛盾的同一を説くのである。

そして"The Tyger"はこれらを最も象徴する詩だと言えよう。

Tyger Tyger, burning bright,
In the forests of the night;
What immortal hand or eye
Could frame thy fearful symmetry?

In what distant deeps or skies
Burnt the fire of thine eyes?
On what wings dare he aspire?
What the hand dare sieze the fire?

虎よ、虎、輝き燃える、
夜の森の中で、
どんな神の手、あるいは眼が
汝の怖ろしい均整をつくり得たのか。

どんな海や 空のかなたに
汝の眼の炎が燃えていたのか。
いかなる翼で 神はあまがけり、
いかなる手で その炎を捉えたのか。(土井光知訳)

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獰猛な動物である虎は「輝き燃える」「恐ろしい均整」であり、またとらえがたい「炎」とも形容され、いったいどんなおそろしい神がこのような虎を生みだしたのかと語られる。しかし虎の特徴はこのようなとらえがたい恐ろしさだけではない。無垢と経験が矛盾的同一をなすように、虎もまた相反する性質を孕んだ存在として描出される。"A Little GIRL Lost"における虎は子供を庇護する守り神である。

'Follow me' he said,
'Weep not for the maid;
In my palace deep,
Lyca lies asleep.'

Then they followed
Where the vision led;
And saw their sleeping child,
Among tygers wild.

獅子はいう、「われに従って来れ、
少女のために泣くをやめよ、
わが宮居の奥深く
イカは眠っている。」

彼等は 幻の姿が
みちびくままに 歩いていった、
そして虎どもの中に
眠る少女を見た。(土井光知訳)

谷を越えて何日も旅をし、荒地を彷徨い歩きながら、少女の両親は自然の奥で一頭の獅子にゆき遭う。獅子の導きによって彼らは、我が子が虎に守られて眠っているのを見つける。このことからもわかるように、人間にとって獰猛で恐ろしいとされる動物が、ここでは慈悲深い存在として描かれている。先の詩で謳われたように、虎は人間にとって恐ろしい力を表象するが、その恐ろしさが神々のもつ慈しみと併存しうる。人間を含むあらゆるものは、一意的な価値に閉込められるものではなく、むしろ積極的にその価値を解体してゆくような、矛盾した価値を併せもつものである。

無垢は破壊されることではじめて無垢としての価値をもつ。あるいは、経験によって腐敗し、はじめてそれは無垢であったと解されるのである。経験がなければ無垢は無垢であると見なされえない。それゆえ無垢は潜在的に腐敗を孕んでいると理解される。ボウラの言うように「経験は単なる事実ではない。それは存在の循環において必要な段階なのである(Experience is not only a fact; it is necessary stage in the cycle of being.)」(Bowra 36-37)。純粋に善なるものなどありえない。それはつねに悪の影に脅かされているからこそ、善としての輝きをもつことができるのである。

 <Works Cited>
Blake, William. Selected Poems. London: Penguin, 2005.
---. The Complete Poetry & Prose of William Blake. (1965) NY: Anchor Books, 1981.
Bowra, Sir Maurice. The Romantic Imagination. (1950) London: Oxford, 1973.
土井光知訳『ブレイク詩集』(1995年)平凡社、2016年

●付記

ロマン派の詩人のなかでブレイクだけは世界がちがう。同じように呪術的な詩を書いたコウルリッジも、ブレイクのように孤独で幻視的な世界に生きてはいない。時代から疎外された天才は、だれの眼にもふれない詩を、何十年にもわたって淡々と書きつづけた。おそろしい執念である。彫版師、下絵描きとして生計を立てた彼は、絵も、詩も、生前はまったく評価されておらず、むしろ批判の対象となって斥けられたとさえ言われる。

ロマン派詩人のなかで私が最も好きなのはブレイクである。彼のすべての詩篇を、じっくりと時間をかけて読み、考えつづけることができれば、人生は大きく変革するだろう。そのくらいの力をもった詩人は、あとにも先にもブレイクくらいのものではないか。残念なのは、英文学の研究に際し、これまでブレイクの研究をしているひとに私は出逢ったことがない。若い研究者はなおのことブレイクを敬遠しているのかもしれない。もっと広く読まれてほしい詩人のひとりであるが、特に古典的な詩は、忘れられていく一方という気がする。

本記事において、モーリス・ボウラの文献を参照したが、ほかにもノースロップ・フライのFearful Symmetryや、スコットランドの詩人キャスリーン・レインのBlake and Antiquityも、ブレイクの文学を読解くのに大変役立つ文献である。また下記にも載せたPoetry & Proseには、ハロルド・ブルームによる膨大な註釈が載っており、こちらも大変役に立つが、『無垢・経験の唄』に関する註釈がなかったため、今回はあまり参照しなかった。

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